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「公(おおやけ)」とは「ム=私」に「ハ=反する」という意味である。この「公」を昔は「大宅」と書いた。これは、国民から集めた倉を指し、倉の中に入れたものは公のものであるから、人民は絶対に手を触れてはならないという考え方を表している。この論理からは、情報公開という考えは生まれない。役人は、集めた権力を利用するが、それを国民に分けることはない、ということになる。ここでは、情報を囲い込むことを公と言っている。
一方中国では、韓非子は「自ら営む者之を私といい、私に背くこれを公という」と述べているように、私が大切なのであって、その私を押さえつける公というのは良くない、と考える。
欧米では「公」を「public」と表現する。「public」とはラテン語で「publicus」のことであり、「populous」という意味。「populous」とは言い換えれば「people」となる。つまり「公」とは「OPENTO ALL」を表す言葉なのである。すべての人に開放するのがpublicであり、開放しないことがprivate。日本とは、全く逆である。日本がいかに公というものを中心にしてしまったかが分かる(資料8)。